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【報告】夜のサロン/第11回・阿部海太郎

10月に開催された「夜のサロン・第11回」は、音楽家・阿部海太郎さんをゲストにトーク&ライブを開催しました。
トークの様子を中心にご報告します。


阿部海太郎(Umitaro ABE) プロフィール
1978年生まれ。音楽家。
自らの作品をピアノ、ヴァイオリン、パンデイロなどで演奏する。
2003年、東京藝術大学大学院音楽研究科修了。
2005年、パリに留学し、その傍ら短編映画などの音楽を作曲。
2006年、THEATRE MUSICA を設立。
THEATRE PRODUCTSのファッションショーの音楽、D-BROSとのコラボレーション、ソフィーナ・ボーテCMソング 、
2008年1月、蜷川幸雄シェイクスピアシリーズ「リア王」、10月「恋のから騒ぎ」の舞台音楽を担当するなど、活動の幅を広げている。
2008年10月8日、New Album「SOUNDTRACK for D-BROS」を発売。
THEATRE MUSICAへのリンク


「クラシックも前衛音楽も、いまここに聴こえるすべての音楽を"現代という同じ時代”の音楽であると考えています。
音楽が語る、この複雑で特殊な歴史を前に、いまや、世界にはさまざまな音楽の複製物があふれています。
わたしたちは、まるで中世の時代にあったあの膨大な手写しの書物のような、ひとつひとつが実に表情豊かな録音物の集積を作り出したいと思っています。」
〜THEATRE MUSICA webより〜


◆夜のサロンとは?
フランスで発祥した文化人たちの知的交流の場サロン。
そのエッセンスをギャラリー册が今に再現します。
アーティスト、小説家、デザイナー、研究者など、各界で活躍されているゲストにトークしていただき、その後、ゲストを囲みながらパーティーを開催します。
ワインを片手に、異業種・異文化の大人たちが集まり、愉しみながら知的な体験が得られる交流会です。
毎月1回、週末の夜に開催しています。
今までの夜のサロンの様子はこちら


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開催日:2008年10月18日(土)17:00〜19:00
ゲスト:阿部海太郎(音楽家/THEATRE MUSICA)
内 容:トーク&ライブ


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【阿部海太郎】
今日はたくさんの方にお越しいただいてありがとうございます。阿部海太郎と申します。こんなすてきな場所で演奏させていただけて、本当に楽しみなのですが、けっこう緊張しそうだなと思っています。
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昨年、世田谷にあります村井正誠記念美術館でご縁があって演奏する機会があったのですが、そこにギャラリー册さんがいらしていた事がきっかけで、夜のサロンのお誘いをいただきました。通常はトークが中心だと伺って、本当に僕で大丈夫なのですか、とお伝えしたところ、阿部さんは演奏でお願いしますということでしたので、それならとやらせていただきました。

本当にしゃべるのが苦手なのですが、自己紹介がてら、なんで僕が今こんなことをやっているかというのをお話したいと思います。
僕は東京藝術大学の出身なのですが、職業として何をしているかというと作曲になります。大学にいたときは、作曲科でもなく、ピアノ科でもなく、ましてやバイオリン科でもなく、音楽研究科というところがありまして、そこで理論や音楽史とか、そういうお勉強を専門にしていました。もちろん、作曲したりするのは好きだったのですが、それは片手間に独学でいろいろやって、大学の中ではあくまで音楽学、音楽の研究をひたすらやっていました。だらだらと学生を続けていて大学院も受けて、それにも飽き足らず、最終的にはパリの第八大学で音楽の研究を続けていました。
そこで何をやっていたかというと、今日のプログラムのメモに少しだけ書いてあるのですが、ウラジミル・ジャンケレヴィッチというフランスの音楽思想家がいて、その人の研究を延々と学部の4年間と大学院、フランスで1年やっていました。
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↑ トーク前のライブの様子・1
「D-BROS」のカレンダー作品『BROOCH』のための楽曲を、イメージムービーに合わせて演奏。


研究をやめたのは、もともと研究者になろうと思っていた訳ではなかったのと、あきらかに作文が苦手で、物事を論理的に考えて整理して伝えるというのが苦手だというのが、学生生活8年をかけて最終的にやっと分かったからです。
勉強していたジャンケレヴィッチという人は、「音楽とは何か」ということを真正面から問うた偉大な哲学者でした。そうなると8年やそこら勉強しても分からないのですね。そのときにふと思ったのが、大学で研究分野を続けなくてもいいのではないか、ということでした。その頃友達のお芝居だとか、自主制作の映画の音楽をつくる機会があったので、もう少し実践的に好きな音楽をつくることを真剣にやってみようかなと思って、今の仕事にいたります。パリから戻ってきたのがちょうど三年前ですので、まだまだ社会人三年生という感じです。
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↑ ライブの様子・2
週めくりカレンダーの『BROOCH』に描かれた絵は、ページをめくると、月日とともにストーリーも進んでいきす。


ジャンケレヴィッチの著作は、日本でも訳されていて、代表的なのが「音楽と筆舌に尽くせぬもの」が国文社から、「La Mort(死)」というのがみすず書房から出版されています。この人はソルボンヌ大学でずっと哲学の教授をしていたのですが、二十世紀の哲学者の本のわりには、語り口がやわらかいと思います。第一印象は接しやすいというか、読んでいて非常にきもちのよい文章ですが、それを理解しようとしていくと、非常に深くて、すべてを掘り返すのは難しい。逆に言うと、すごく探究心をそそられるようなそういう思想家です。
この人は1903年生まれで、まさに二十世紀の人ですが、当時の音楽思想とは一線を画す独特な考え方を持っていました。


二十世紀の哲学全般が、いわゆる「神の死」のように、かつての超越論ではない方法で考えようとしていたわけですが、その他にも例えば社会学や実証主義の興隆にもみられるように、みんなが超越論からどう離れるかを考えていた時代にありました。僕じしんが興味をもったのは、ジャンケレヴィッチという人は最終的には超越というものをどこか信じたかったところがあって、表向きは神を否定するのに、一方では芸術が持っている人間離れした世界をなんとかして語ろうとしたところです。ジャンケルビッチはそれをmystere(神秘)といいました。


ジャンケレヴィッチがこれをどう論証していこうとしたかといいますと、実際にこの世に神秘的な現象があるということを実証しようとしました、それが「死」というものです。人間が死ぬということは非常に神秘的な現象なんだけれども、現実としてまざまざと残る。それを元はラテン語になりますが、「Mors Certa, Hora Incerta」(死ハタシカ、時ハフタシカ)と言いまして、この世でもっとも確実な真理は、人が死ぬということで、誰も否定できない。(死ハタシカ)そして、もっとも真実であることが、いつ訪れるのかそれが分からない。(時ハフタシカ) 
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↑ ライブの様子・3
時おり、本多啓佑さんの演奏するオーボエも入り、情緒豊かな音色がギャラリーに響きました。


もっとも確実なものが、もっとも不確実であるという前提があって、いつかは分からないけれども、必ず死というものが訪れる、ある人間の身に生身の経験として実際に起こる。これをジャンケレヴィッチは非常に超越的でありながら現実的であると考えました。そしてそのことを特別に「出来事」と呼びました。
音楽もジャンケレヴィッチは、経験でありながら同時に経験を超えている「出来事」だと捉えていました。(奥深いことに、音楽と生が結びつけられて考えられています。)普段私たちは音楽を聞いていますが、その「聞いている」ということは、どういうことなのだろうといろいろ考えたところ、物理的な音を物理的に聞いているのとは訳がちがうのではないかと。例えば、すごくお気に入りの音楽でも、自分が眠いときに隣の部屋から大音量で聞こえてきたら、たちまち音楽であったはずものが騒音に変わる。ジャンケレヴィッチの考え方でいうと、騒音として聞こえてきたときの方が、むしろ聞こえているという状態に近いのではないか、ということです。音楽を普段聞くときの聞き方というのは、実は聞いているのではなくて、一緒にうたっているということ。例えば僕だったら、先ほどのオーボエの音がからだの中に入って、自らそのメロディーを追っている。そういう意味ではある種肉体的というか、運動的に音楽を捉えている。それが音楽の聞き方というか、聞こえ方ではないかと。そうすると、そこで聞いているようで実は音楽をうたっている。うたっている自分は、うたっている自分じしんを聞くことは出来ないということです。
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新幹線に乗って動いているとき、時速何百キロの中にいても自分じしんはそれを経験できないのと同じで、聞きながらにして、うたいながらにして、それを自分じしんが聞くという経験はできない。そういう意味で、音楽を聞くということが、経験と同時にすでに経験の枠をこえている。すごく神秘的な現象なのだなと思いました。


そういうことを延々勉強していたのですが、第二の人生といいますか、勉強をやめてからは、作曲ばかりやっています。ジャンケレヴィッチの思想はとてもおもしろく共感できますし、まだまだ分からないことだらけなので、勉強は長い期間かけて、作曲とは別に続けられたらいいかなと思っています。もしご興味のある方がいらっしゃいましたら、先ほども言いました、『筆舌に尽くせぬもの』、それから、ドビュッシーやラベルなどのフランス音楽についても著作をたくさんのこしていて、ガブリエル・フォーレについての著作も2年まえに翻訳されています。経験であって経験を超えている、ということに関しては、超絶技巧のリストについてのリスト論もあります。


ジャンケレヴィッチの話はここまでにして、僕の音楽を聞くのが初めての方もいらっしゃると思うので、簡単に作品を紹介させていただきます。『6, Rue Des Filles Du Calvaire, Paris,』は僕の一枚目のアルバムになります。このタイトルは、フィーユ・デュ・カルヴェール通り6番地、パリの実在する住所になります。留学しているとき僕はここに住んで、一年間の滞在の記録、街の音を録ったり、その年につくった音楽を混ぜて、一枚のアルバムを作りました。当時作曲家になろうとか全く考えていなくて作ったもので、むしろ現実的な理由で、パリから日本に帰るときに、いろんな人におみやげを用意しようと思ったら、荷物にもなるし、そんなにお金もないし、その割にはお世話になった人の数があまりにも多く、それでこのアルバム焼いて渡せばいいなと思っていました。
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うちの母親なんかは海外に行ったことがないですし、写真では風景は見られますが、カフェの喧騒はなかなか知る機会がありません。僕は写真を撮るかわりに街の教会の鐘の音や電車の音録って、絵を描くかわりに短い曲をかいて、一年間の滞在の記録にしておみやげにしました。
日本に帰って、友人や親戚に渡したのですが、僕が考えていたよりもいろんな人が楽しめる作品だったようで、僕のことを知っている人たちに贈れればいいと思っていたのですが、僕のことを知らない人でも楽しめる、ある作品性みたいなものがあって、いいとおっしゃってくださる方たちがいらっしゃって、それでCDにしてみようということになりました。このCDを作ったことによって、D−Brosさんやいろんな方と作曲のお仕事をさせていただく機会が増えて、今日に至るという感じです。