2022年7月5日(火)~8月26日(金)
夏季休廊 8月11日(木・祝)~8月15日(月)
黒鉛が赤い血のように舞いながら折重なって、沈みこむときもあり、またその紫いろの疾駆が地の肉体を引き剥がしたように、原初の闇を駆け回ることもある。それらが視覚を撫ぜ楽しませ、くすぐり、先走りしては振り返ってこちらを誘う、いや嘲笑うほどの、無類の絵画である。
だからいうまでもなく、優れた絵画の必須の条件であるごとく、関根の絵画もまた、「手」の絵画ではなく、「眼」の絵画である。
鉛筆でもガッシュでも、その塗って、描き重ねた宇宙軸のような銀いろの光沢もまた、光を裏切った、あの、闇の舞踊のようでもあった。その向こう、その奥底に、また、幾重もの蠢くものたちが、生き、そして絶える。情念の縁、世界のさい果てまでも、それらは、今も、息絶えず、生きようともがく。
きわめて多角的な、重層構造をもっている関根の絵に、ある種の卓越した知的構造を読みとることは容易であるだろうし、それはむしろ絵画全般に対する礼節ではあっても、自らの愚鈍を恥じるに値しないていどの常套だけでのことでも、あるいはあるのではないだろうか。私はそれらをじゅうぶんに知悉しているとして、それには与しないでおこうと思う。なぜなら関根を情念や、肉体、たとえそれが宇宙的なものであっても、そういう方面から読み解かないのならば、それは彼女の絵画的肉体の実在に対しての無礼であるように、私は感じるからである。
「深淵より」。
関根の絵画が衝撃的であればあるほど、それは私ども人間の感情を超えた、ある種の超越的構造をもつようになる。
それは関根個人の人間的な思惑とは、まったく関係がない。
それは、他に何も比べようの無いイエスの、地上に受肉した、人間ではないもののみが味わう苦しみのことだ。それをラテン語で、人間がそのもっとも原始的、原初的な底辺の深淵を体験した場合にいうわけだが、かのオスカー・ワイルドが獄中で書いた手記も、また、かく題されていた。
詩篇第三一番。その深淵からの、しぼりだされた、神への叫び。全存在を消し去って、叫びそのものに、叫び、だけになった人間。
たかが四十過ぎたぐらいの、だが、やはりここ、ぞ、今、という、作家生涯の分岐点に立っている関根に、今さら「達成」などというのは烏滸がましいかも知れない。だが、この言葉を、かれこれ二十年、彼女の仕事につき合ってきた私は、そう、今、名づけようと思う。
知的な関根は、それぞれの体験を表面においてではなく、血肉化してきた。私は彼女の絵画に、ラスコー壁画の省察をうかがい、ヒューストンのロスコ・チャペルに佇む関根を想像する悦びをも、けっして手放さない。
それらの濾過はやがて、見ることの裏と表の繋がりや、その円舞として、あれらの鏡面絵画を生んだのを、私は知っている。
だから、いや、だが、もっもと優れた絵画は、もっとも非人間的なものに向かうのである。
関根の絵は、息詰まるような線の舞踊のなかで、あるときはピラネージの、あの「地獄=Carceri」のように世界終末の建築であり、典雅な天女の羽衣の呼気のように、軽やかな、しかも不安定なる円舞のなかで、あの見果てぬ、幻視の詩人ゲオルゲ(Stefan George)の、中空の庭のようでもある。
かくて私は終生、関根の手に、その手の軌跡に、憧れ続けようと心に決めて思っているものである。なぜなら私個人は、畢竟、優れて愚鈍なる、人間的浪漫主義者だからである。
小さな感興がないか、といえば、それはある。あり過ぎるほどある。
それもまた、無限の庭の恩寵のごとく、誰にでもに開かれてある。
関根の絵画ほど、身近においておいて、遠来の友を感じるものもまれだろう。
写真上:「Composite Scenery」2022 / 122×112.8cm / panel, graphite, gouache 下:「Colors - A Parchment Book」2021 / 30×63cm / board paper, oil based colored pencil 撮影:柳葉大 Yanagiba Masaru
1999 | 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業 |
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2001 | 武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了 |
2013 | 文化庁海外研修制度 研修員 フランス、パリ |
個展
2021 | 「Ligne-Couleur-Image」 Pierre Yves Caër Gallery |
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2019 | 「風景の作用-Act of Scenery」 Mizuho Oshiroギャラリー |
2018 | 「風景の作用」GALERIE ANDO |
2017 | 「NAOKO SEKINE EXHIBITION」 MA2 Galler |
2016 | 「終わらない庭-Act of Scenery」GALERIE ANDO |
2015 | 「ここに、はての、拡散した1」MA2 Gallery |
2014 | 「言葉の前の音」GALERIE ANDO |
2012 | 「先行するものたちへ-Naoko Sekine Creations in 1999」 第一生命南ギャラリー 「昼と夜、時の間-go for a walk at twilight」MA2 Gallery |
2010 | 「線-音-意味」 脇田美術館 「Winter Lights」GALERIE ANDO |
2009 | 「SECRET EXHIBITION」 MA2 Gallery 「9月の庭」 art space kimura ASK? |
2008 | 「巡る、佇む」GALERIE ANDO |
2004 | 「そとがわのうちがわ」 トーキョーワンダーサイト 「線、海からの帰還」 αmプロジェクト/art space kimura ASK? 他 |
グループ展
2022 | 「ふたつの変容-松谷武判・関根直子」 MA2Gallery |
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2020 | 「ゲーテの目、あるいは舞踏する庭」 art biotop 「絵の旅vol.5 深く沈み軽やかに浮かぶ – The Silent activity」 MA2Gallery |
2019 | 「ゲーテの目 舞踏する眼差しⅠ」ギャラリー册 「MOTコレクション-ただいま / はじめまして」 東京都現代美術館 |
2018 | 「関根直子|小瀬村真美|手塚愛子」展 MA2 Gallery |
2017 | 「批評の契機」 緑隣館 埼玉 |
2016 | 「VOCA展2016-現代美術の展望-新しい平面の作家たち」 上野の森美術館 |
2015 | 「モダン百花繚-大分世界美術館」 大分県立美術館 「常設展 フランシス・アリスと4つの部屋」東京都現代美術館 |
2014 | 「開館20周年記念 MOTコレクション特別企画第2弾 コンタクツ」 東京都現代美術館 「17th DOMANI・明日」 国立新美術館 |
2012 | 「VOCA展2012-現代美術の展望-新しい平面の作家たち」 上野の森美術館 |
2011 | 「Nearest Faraway 世界の深さのはかり方-MOTアニュアル2011」 東京都現代美術館 |
2010 | 「Doubles lumières」 パリ日本文化会館 フランス パリ |
2009 | 「I BELIEVE-日本の現代美術」 富山県立近代美術館 |
2008 | 「Black,White and GRAY」 MA2 Gallery 「VOCA展2008-現代美術の展望-新しい平面の作家たち」 上野の森美術館 |
2007 | 「線の迷宮<ラビリンス>Ⅱ-鉛筆と黒鉛の旋律」 目黒区美術館 |
2006 | 「Chaosmos'05-辿りつけない光景」 佐倉市立美術館 他 |
受賞
2008 | 府中市美術館賞、VOCA展2008 |
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2002 | トーキョーワンダーウォール賞、トーキョーワンダーウォール公募2002 |
パブリックコレクション
府中市美術館、東京都現代美術館、大分県竹田市立図書館、愛知県美術館、和歌山県立近代美術館
関根直子(1977〜)
2001年武蔵野美術大学大学院造形研究科美術専攻油絵コース修了。2006年「Chaosmos’05-辿り着けない光景」佐倉市立美術館、2007年「線の迷宮Ⅱ」目黒区美術館、2009年「I BELIEVE」富山県立近代美術館、2010年「Doubles Lumieres」パリ日本文化会館、2011年「世界の深さの測り方」東京都現代美術館、2015年「モダン百花繚乱」大分県立美術館、2019年「MOTコレクション-ただいま / はじめまして」東京都現代美術館 他、VOCA展等出品。
細部と全体を意識した画面構成で、そこに立ち現れる実体的な空間や質を描き出し、「描くこと」や「見ること」についての意識を拡張する。その細部は全体のイメージを描く為のものではなく、常に自立的に動きや質を強調するが、それが集積となって不思議と一体感のある空間やイメージを出現させる。作品は、府中市美術館、東京都現代美術館、大分県竹田市図書館、愛知県美術館、和歌山県立近代美術館に収蔵されている。
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