知的に騒がしい-ギャラリー册-

羽原肅郎先生のワークショップを終えて

modernism無の機能性を考える庭のほうへ  ― 羽原肅郎先生、禅とモダニズム講義譚

[行間=心、を広くとることがまず、第一なんだ!]
元より、理論より勘の人間で、性格がおおざっぱということもあって、至極細かいことは残念ながら覚えていないのだが、やはり、羽原先生のレイアウト講義(というか、これこそが、僕らキュレーターにとっても、モノの配置の妙をはかる肝要なる妙味の、秘技的部分を内部構成するものであって)の始まりのポイントは、やはり僕じしんもこうしていつもキーボードで書いていても気をつけている、「行間をきちんと広くとる」ということだった。

しかも、日本語ほんらいの縦組と、移行応用されている横組ではちがうだろうとは漠然と思っていたのだが、その明快な解明も伝授されて、また、目が開けた。
まあ行間というのは、日日を楽しみ、自然を愛でる単純素朴な余裕というか、そういう心持ちのことだろう。すべからく、世知辛いものは美しくはないから。
そう考えると、本の判面が、禅の庭のように見えて来たのも確かではある。

また、「日本語の活字ヅラは、方形なんだ」、というのは、その昔、畏敬する建築家で建築史家の横山正先生が、乃木坂のギャラリー間で、「方形の空間」というすさまじいレクチャーをされたことがあって(じつはその肝入りが、建築家で建築写真もされる、斎藤裕さんだったのだが、何とその斎藤先生がこの日、羽原レクチャーに遅れ気味ではあったが駆けつけてくださって、二期倶楽部オーナーの北山ひとみさんともまた奇遇、いろいろ話が弾んだのも、羽原先生のお人柄が呼び寄せた楽しい歓談だった訳で)、僕もそれ以来、そのままその理論を援用というか、剽窃(と断ってはいるが)してしまって、自分の「ジャポニズム理論」=ヨーロッパ世紀末の建築家やデザイナーたちがいかに日本のグリッド空間に影響を受けて、新しい、シャープで斬新な空間構成をやったかというもので、桟や格子、長押、縁側、畳、襖、欄間などに見られる、日本の格子的交差空間と、ウィーン工房のホフマンや、グラスゴーのマッキントッシュ、あるいはかのF.L.ライトなどの多用した、連続する垂直線や交差するグリッド空間との類似関係についての試論考に、勝手に使わせてもらっているのだった。(註1)